発達障害エッセイ

1章 診断されるまで 〜奇跡の誕生から0歳期〜

奇跡の誕生

1999年7の月。ノアの方舟の大洪水が終わった日。

そんな日に誕生した。

お昼頃に母の陣痛が始まり、夕方頃に生まれた。

タイミングが合わなかったのか、羊水に溺れたような状態になり

便もお腹の中で一緒にしていて、仮死状態で生まれたそうだ。

母は、必死に私の名前を呼んだ。

医師が赤ちゃんだった私の片足を持ち宙吊りにすると

お尻をベシベシ叩き

私は、ようやく息を吹き返し無事、誕生出来たそうだ。

奇跡的に生まれることが出来た私は、身長48cm、体重2672gで小柄でした。

ハイハイ。何故後ろへ?

元気にすくすく育ち、

生後5〜6ヶ月の頃。

母に「おいで〜」と呼ばれ、私は母の所へ行きたくて、

「マンマ〜」と答えたらしいけど

何故か、ハイハイしているのに『後ろ』へ進んでしまいます。

段々、遠ざかっていってしまうので、とうとう泣き出してしまったそうです。

この話を良くしてくれるのですが、私も何故『後ろ』へ進んでしまったのか

私もよく分かりません笑

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謎の「おぱよう」事件

8ヶ月頃、母は毎朝、私に「おはよう」と話かけていたそうです。

ある日、いつものように母が話しかけると

突然「おぱよぉ〜」と言ったそうです。

母は、驚いてまた話しかけたが、

まったく答えず、、、。

その後、毎日何度も話しかけたそうですが、私が話すことはなかったそうです。

あの「おぱよう」は、何だったのか?と言われますが、私も知りたい所です。

0歳期

奇跡の連続で誕生。無事に生まれて来る事自体が実はとても奇跡なのだと、思い出すといつも感じます。

そして、思い出す度、蘇生方法に毎回驚いては感謝をしてます。

奇跡的誕生。ハイハイの後進。たった一回の奇跡のおぱよう。

生まれてすぐから伝説が出来た私の誕生から0歳期でした。

ABOUT ME
mizuho
1999年7の月の日であり、ノアの方舟の大洪水が終わった日。 そんな日に母のお腹の中で羊水に溺れ、ウンコも漏らし、必死に生まれようともがきました。 そして、仮死状態で生まれて、医師が私の片足を持ち宙吊りにしお尻をベシベシ叩いて息を吹き返して、私は奇跡的に誕生しました。 その後は健康状態は良好でした。ですが…突然、自閉症スペクトラム障害、 注意欠如多動性障害の不注意優勢型の疑い、 持続性気分障害と診断されて途方に暮れるばかりでした。 途中、普通科の高校から通信制の高校に転校するも無事に高校卒業出来ました。 何度も会社で働く事や 転職と通勤に失敗、挫折し 心を取り戻す過程で自分にできる事は何か色々と学んでみたりしましたが中々上手くいきませんでした。 そんな中でもブログは楽しく、『出来る事』に着目し、アメブロで約1年ブログの毎日更新が続きました。そして、新たに一つ階段を登ってみようと試みて自身のブログサイトを立ち上げ移行しました。現在は、病院も卒業し ブロガーとして、暮らしの挑戦や私が見てきた世界を人とは違った視点で発信し活動しています。 ついでに誰にも話せなかった霊媒体質の不思議体験も表現出来たら良いなと考えています。 温かい目で見守って頂きありがとうございます。感謝🍀 ✼•┈┈┈┈•✼┈┈┈┈✼•┈┈┈┈•✼